スウェーデンの高齢者対策の歴史
- 1800年代
介護を必要とする高齢者をセリにかけていた時代。高齢化率は低く、福祉対策も皆無であったため、家族が高齢者を看ることが出来なくなったり、看たくないときは業者に対してセリにかけた。セリでは一番安くケアをするところに落とされた。
- 1900年ごろ
貧民救済員制度ができた。当時は国全体が貧しく、多くの貧しい高齢者が帽子を手に家々を回って施しを受けていた。村の中では貧民救済員が面倒を看ていた。当時は大部屋に押し込んで、虐待などもあったようだ。
- 1940年代
高齢者虐待が明るみに出る。写真集で大部屋の劣悪な環境で看られていることが告発された。Per
Albin Hansson議員によるFolk Hemmet構想。「国民の家」構想という。福祉思想の始まりで、皆が連帯して責任を持って高齢者を看ていこう、高齢者を平等に看ていこうという構想だ。
- 1950年代
ホームヘルプサービスが始まる。1940年代に民間でスタートしたホームヘルプサービスだが、自治体が取り組むようになる。老人ホームも出来てきた。
- 1970年代
サービスハウスやナーシングホーム(日本で言うところのケアハウスや特別養護老人ホーム)が建設される。特にサービスハウスは全盛期を迎えた。ヘルパーステーションの近くで主に虚弱な高齢者向けだ。しかし、このときの一番の間違いは「街から離れたところの安い土地を買って建設した事だった。」90年代は街の中心部に作られるようになる。
- 1980年ごろ
1960年〜1980年は好況で高齢者福祉に多くの投資が行われた。
- 1982年
社会サービス法の成立。一般的、平均的なスウェーデン人の生活を保障することが自治体の責務となった。対象者は高齢者、障害者、依存症の人、生活保護を受けている人、特別な援助を必要とする子供などだ。なお、障害者については後に権利を定めたLSSが法制化されている(ここでは省く)。高齢者にとっては「自立して生活できる住居があること」「意義深い活動が出来て社会参加ができること」が保障されている。だから自治体は住宅提供義務を負うわけだ。その上、自治体は掘り起こし活動をする責任があり、予防に関しての活動や情報提供、具体的には手紙を出したり、相談体制をとったりしなくてはならない。
(コメント盛次)日本は自治体責任ではなく、介護保険法ができても個人責任となっている。そして憲法上も生活保護で最低生活が保障されているに過ぎないので、スウェーデンの平均的生活の保障とは相当なギャップがある。
社会サービス法施行以前は各自治体で格差があった。積極的に福祉に取り組んでいるところとそうでないところだ。すでに自治体責任でさまざまな保障を実施しているところが増えてきたので法律となったに過ぎない。地方自治はもともと進んでいたが、ここに来て分権がかなり進んだ。(コメント盛次)日本もなるかな?
具体的なサービスとしては安心アラームの充実。ペンダント型や腕時計型の携帯用発信装置で緊急時にボタンを押すと30分以内にヘルパーが飛んでいくという保障だ。やかんもそのために巡回車が数台回っている(正看護婦1名、准看護婦1名乗車)。
- 1990年
不況期。エーデル改革が実施された。もっとも大きな変化は医療が救急部門、高度医療部門を除いて県の管轄から市町村の管轄に移行した事だ。それによって老人病棟は消滅し、新しい老人ホームとなった。医療ケアから社会的ケア(社交的ケア)に変わったわけだ。このエーデル改革の評価をめぐってはだいたいにおいて肯定されている。
(コメント盛次)日本で言うところの福祉が看るか、医療が看るかのところだ。このエーデル改革で医療で看る人は救急時だけ、つまりごく一握りで短期間のみとなった。
社会的入院はほぼ0になった。しかし、市町村の高齢者福祉では医療ケアが不足しているという面もあると言われる。また、医師不足もあるそうだ。
一方で代理人制度(日本で話題の青年後見人制度の原型?)が発達した。
- 1995年
法律の運用が厳しくなった。量から質の時代に入った。国の特別予算で市町村の高齢者対策の質的側面が強化された。多くは教育費に割かれ、リーダーの養成が盛んとなった。家族支援についてもショートステイが増やされて家族との連絡員が養成された。そのほか、IT(Information
Technology)つまりコンピュータ化が進んだ。
- 1998年
レックスサーラについて報告しておく。正式には社会サービス法第71条A(高齢者、機能障害者が正当に扱われていない場合の申告についての項目)だが、1998年に追加された。
ストックホルムの民間委託老人ホームに勤めるサーラさんが1997年に訴え出た事に端を発する。内容的には以下のような事だった。オムツの交換回数が少ない、そのために待たされる、寝かされる時間が長いなど。ここ2年の間にマスコミや政治家や一般家庭で討論されて、サーラの告発は高齢者対策に対する警告であると解釈された。
不当な状況を見た人は報告しなければならないという義務が課せられた。職員であろうがなかろうが関係ない。職員には高齢者等がよりよい生活ができるように見守る義務が課せられ、不当な状況を目にしたら議会等に訴える義務が課せられた。市町村は自ら善処できない場合は上級庁に届ける義務も課せられた。たとえば面会に来た家族が高齢者にひどい事をしているのを目撃したら届ける義務も課せられたわけだ。
(コメント盛次)日本だったら内部告発は嫌う。そこまで北欧は人権意識が強いのか。年金を奪っていく家族の多い日本だったらいっぱい告発されそう???
- 1999年
最近のフレキシブル高齢者住宅について。今後2年のうちにフレキシブル高齢者住宅がたくさん建設される予定。8で割り切れる数で48床が一番多い。8人が一つのグループホームを形成するが痴呆用だけではなく、虚弱な高齢者や痴呆の人が中心。個室(一人当たり30u…日本の特養の3倍)と共有スペース(ダイニングキッチンと居間)がベースだ。やがて高齢者は減少するのでゆくゆくは重度心身障害者や知的障害者、学生向けに改造可能。